カメラとにらめっこ(敗)

私の趣味であるペン回しについて

まず、ペン回しとは何か、どれほどの発展性を含んでいるかなどの現代事情は割愛する。
興味がある人はGoogleなどを活用してほしい。


理論的に言うが、
原則、ペン回しには規則があり、
それに基づいた流量でフリースタイル(以下、FS)を構築していくのが一般的である。
見ていて魅せられるFSというのはその流量を多くしたり、流れるパターンに変化をつけてFSを構築しているのである。
そこにはスピナーの個性があり、好んで他のスピナーのFSをあさったりするのも個性の虜になっている人が多いためだと思われる。


多数のFSを私は見てきたが、私はその際にいつも考えてしまう癖がある。
『この人はFSを撮るためにいくつほどの時間を使ったのだろうか』
素晴らしいFSほどこう考えてしまう私の癖だ。
決して暇つぶしとは言えないほどの時間をかけていることは直感的にわかる気がする。


スピナーと一度でも思ったことがある人ならわかるであろう。
そのようなFSを撮ることがどれほどの大変なことであるのか。
当然のごとく、オーダーの技はできていなければならないし、
FS全体として滑らかさや力強さをどれほど引き出すのかというバランスのあった重心を探し出さなければならない。


その上、実際にFSを撮る環境は普段とはまた異なる。
FSは撮影機器に収めなければならないし、普段お気に入りの体制を崩すことが必要にもなったりするのである。
そしていやらしいのが撮影機器で、非常にやっかいなやつなのである。


映像化する能力を持っていない人間がこれらの機器に頼らざるを得ないのは然りなのだが、
レンズから覗く黒色があたかも生徒指導の先生の眼に見られているような気がさしてくるのである。
そこから生まれるのは適度を通り越した過度の緊張感である。



これでは落ち着かない。
正直、人にじーっと見られていてはFSどころではないのである。



ここで私についてのことなのだが、
PSN4thを宿題の合間に見、その余波を受けたのか、
まだ宿題が残っているのを放棄してFSを撮っていたのだ・・・


しかしながらここで言い訳。「特に今日の私には機械の監視が厳しかった」
いやはや機械を相手にしただけで3時間もの時間を無駄にしたかと思うと妙な鳥肌が立つものである。


カメラのレンズに対する耐性はどうやったらつけられるのであろうか。


ここしばらくストレスなので昇華することにしたのである。